家族で旅をしながら学びを得ています。
1.私たちの食事情
今はもちろん日本ですが、ライフラインのないタイの山岳地帯で暮らした経験、感覚を生かして山に住んでいます。
食べ物はなるべく自分たちの身体を動かして作りたいなって思っています。
もちろん全てを自給することはできません。鹿肉をいただいたり、山菜を分けてもらったり、その1つ1つが私たちを生かしてくれてるんだと思います。
でも最低限は自分たちで作る必要がありますので、家族で畑をしています。
サラリーマン家庭で育ち、家庭菜園すらやっていなかった家庭で育った私と旦那さん。
私たちの学びの場は、この土地に住まわせてくれる80歳のおじいちゃんと、ご近所さん、タイの山岳地帯、大人も子どももなくみんなで育ち合っていた子どもたちの幼稚園。。。。
ちょっと変わった環境に身を起き始めたら、いろんな経験をいただく日々があります。
私も、パートナーも、子どもたちもそれぞれの力を発揮して今何が必要か考えながら営む暮らしはここにはあります。
2.畑をすること
イチから食べ物を作る。
スーパーに売っているのを買っていた頃、私にとってお野菜はなんてことなく、お金を出したら買える「物」でした。
でもね、自分で育てるとなると難しい。
土が良くないと育たない、それぞれのお野菜によってお世話の仕方が違っていてそれを学ばないと育たない。
私たちは畑作り三年目、一年分の野菜を育てたいと思っているので、土作りも、お世話も試行錯誤で毎年経験を重ねています。
今はまだ一年分の自給なんて到底及びません、笑。
その「お野菜を得ることの大変さ」を知っているので、どんなであれ、育ってくれたことがありがたいんですね。
「食べれることに感謝、育ててくれた人に感謝。」
そんな食育や農業体験からうまれる言葉はたくさんありますが、その感謝を本当に感じるためにはそれを暮らしのレベルに落とす必要があるんじゃないかなと感じています。
この暮らしを始めて、私たちはスーパーにいく回数を極端に減らしました。
実験のつもりでした、笑。
自分たちの力でどこまで暮らせるかを味わってみようと思ったのです。
2−1.春の始め。
北国は5ヶ月間雪に閉ざされます。
そうして芽吹いてきたふきのとう。私たちはフキノトウとはたけで冬をこしたキクイモ、残ったわずかな越冬野菜で食事を作ります。
ご飯とお味噌汁と、おかずは一品。
以前の私なら「そんなの子供達がかわいそうだよ。」って思っていたはずです。
でも子どもたちはそれでも楽しそうに食卓を囲んでいます。お醤油かけご飯も漬物、お味噌汁。
「ことしも野草がでてくれたね!」
この喜びを子どもたちが一緒に味わってくれてることに驚きました。
この時期の一番のご馳走は山わさび。野良映えする山わさびを掘り起こして、ツンとする香りに涙しながらすって、お醤油漬けにして食べる!
私たちのご馳走です。それと同時に野菜はお世話が必要だけど、お天道様など自然の力で育つ野草たちの逞しいこと!
自然に対する感覚が変わっていきます。
それが面白くて次々と観察眼を子供達もつけていきました。
2−2.夏
6月過ぎから実りの季節がゆっくりと始まります。
親子で喜びを分かち合います。生み出す暮らしを共に味わう醍醐味はまずここなんですね。
お料理大好きなムスコは工夫しながらお料理を楽しみます。
お米よりも野菜がメインの季節。
2−3.秋
夏の終わりになりはじめるトウモロコシ、かぼちゃ、おいも。。甘いものが実り始めます。私たちの庭にはトウモロコシと果物は決して植えません。
大家さんのおじいちゃんの教えなのです。
「クマを呼ぶものは植えちゃいかん。」
人がなんでもしていいわけではなく、節制することで、自然動物との距離が取れるのだと学びました。
私たちばかりが美味しいものをいただいていたら野生動物を呼ぶのは当たり前だと思うようになりました。
そういう謙虚さや想像力をこんな経験から感じる秋。
2−4.冬
雪が始まる前に畑をかたづけます。
大根を雪の下に植える支度、保存のために漬物にする支度。食べものをつくることは生きる力の最低限の部分だとおもうのです。
それを暮らしの中で体現しています。
3.大人も学ぶ。
私たちの畑の一年の中での学びの一部です。
「旅するフリースクール」は我が子のためにたちあげたものですが、コンビニが生まれて時代に育った私は知らなかったことばかりで、子どもたちと一緒に現在進行形で学んでいることばかりです。
この経験を積み重ねて数年。
親子の中で生まれたものがあります。
4.日々の中でのありがとうが増えたこと。
畑仕事だけをとっても、大変さを子どもたちが見ています。
大人は外で働いてお金を稼いで帰ってくるのが仕事、とは違う形の、目の前で働いてお金ではなく、生きるための最低限の食料を得ることがどれだけ大変なことなのかを感じてくれています。
畑仕事を終えると、子どもたちが「ありがとう」と言ってくれます。畑の繁忙期にはちょっと大きくなったムスコが、「ご飯作っておくから。」と動いてくれます。
「お手伝いはさせられるものではなく、大事に思う人が大変だと思うからすること。」
そうか、お手伝いって「優しさなんだ!」とハッとして以来、彼らが自主的に動いてくれることをありがたく受け取り、強制はしなくなりました。
「本当に助かるよ、ありがとう。」
そう言いながら囲む食卓は、ありがとうの気持ちがお互いに飛び交う暖かい食卓になるんですね。
本当に、毎日数え切れないくらいの「ありがとう」が飛び交います。
生きるための学びは勉学や知識だけでなく、「気持ちよく生きるための優しさ、配慮、想像力」にもあると私は感じています。
5.私たちの暮らし
〜近所のおじいちゃんたちの分まで収穫、越冬準備の作業中。その後必ずありがとう、と差し入れをいただきます。ありがとう、と思うのは私たちの方。〜
「トトロの風景のような時代が必ずしも良かったと思うか?」と問われるとわかりません。
今の時代の良さにも感謝を持ちたいと思っています。
けれどもあの時代にあった良さってなんなのだろうっていつも考えながらここで暮らしています。
私たちの暮らしはある意味、実験です。そんな時代に生きてきた先輩たちが80歳を過ぎ、引き継ぐなら今しかないなって思ったから。
少なくとも、自然のことを本当に知らないで生きてきた私は、「自然の中で生きる」、この感覚を得られてよかったなって感じています。
これからを生きる人たちに引き継いでいきたいものがここからどんどん見えてたし、自分自身がどれだけの恩恵の中で生きているのかがわかったから。
「恩恵に感謝して、自分の生を大切に生きる。」
今私が一番大切に思うことです。