子供時代に沢山、失敗をする時間を(^-^)

投稿が空いてしまいました。
日々、暮らしを作り子どもと過ごしています。
私がどなたかからヒントと頂いているように、どなたかのヒントになるように綴っていますが、コンスタントに続けていく難しさも感じています。

日々の暮らし、子どもとの学びの時間、学び方の模索。。

いろんなことをしながら1日がすぎていきます。

それでもちょっと変わったいろんな経験が「日々の中には本当にいろんな学びがあるんだよ」ということに気づくきっかけになったら嬉しいなと思っています。

我が家が一年の数ヶ月をタイの山岳地帯で暮らし、日本に帰国し、学校に行ってみたり、人の集まる場所へいってみたり、そんな日々から日本の癖、タイの大人の子どもとの関わり方をなんとなく比較してみたり。

もちろん私も、私が持ち得ない他の方の感性から学ばせてもらうこともたくさんです。

そんな、それぞれの方の学び方から得た気づきをシェアすることで、自分の日々の学びが、ちがうしてんから見ることもでき面白いのではないかと思うので、続けていこうと思います。

子どもの頃から失敗をたくさん味わって生きること

「日本の教育は失敗をよしとしない傾向がある」

と聞いたことがあります。

良し悪し抜きで、日本の外に出て、その言葉になるほどと思うことが多々あります。

私は、「失敗しちゃった時の気まずさ」が辛くて身を潜めていたタイプの子でした、笑。

今なら、周りと一緒に笑い飛ばしちゃったらいいことだよね、って思うことが沢山あるけど、失敗を怖がってました。

失敗したら「失敗しちゃったね。」ではない緊張感を勝手に感じていました😅し、今でもその傾向を感じることも結構あります。

それぞれが失敗していたら日本の一斉の教育システムは成り立たなくなってしまうのだと思いますが、「失敗がどれだけ当たり前か」「失敗は成功の元だからいいんだよ〜😆」ということも、学んでおけたらいいのだろうな。と今は思います。

初めから成功するより、失敗をしてから成功する方が、不安を処理する能力がついてトータルでいろんな場面で役にも立つと思いますから。

山岳地帯と日本の学校の違い

日本では当たり前に配布される「教材セット」というものが、タイの山岳地帯にはなかったのが印象的でした。

子どもたちはどう学んでるんだろうっていうのを、見せてもらったことが、自分の育ちを省みるヒントになりました。


 

例えば、「畑を作る授業をしますよ。」となった時の話です。

先生が持ってくるのはたった2本の鍬。

大地を耕すチームと、肥料になる豚のフンを集めるチームに分かれて、仕事をしますが、それぞれに必要な道具は自分で探してくるんのです。

(豚小屋にあった、あいた飼料バケツを使って運ぶ)

近所のうちに借りに行ったり、誰かが忘れて行ったお皿を拾ってきたり。

豚のフンを運ぶために見つけた一輪車がありました。

でも使ってみたら底抜けだった。笑。

すると、これまた何処かから、バケツを見つけてきて、豚小屋にあった稲藁で結びつけ運び始めます。

斜面の畑が進みづらいと、他の友達が寄ってきて支えて運ぶチームプレー。

とにかく周りを観察する力が強いし、うまくいかない時は助け合っていました。

畑を作るチームも、鍬を近所の農家さんに借りに行き、それを持たない子は別の仕事を探す。

少し大きい子が水道の蛇口を取り付け始めていました。

いろんな場面で、それぞれの力を発揮する必要が生じるこの学校での暮らし。

「うまくいかない」のは当たり前という前提があるので、他の子が知恵を持ってきます。それでうまくいかなければ、また考えて動いてみる。

そうしてできた関係性の中で、誰かが突拍子もない失敗をした時はみんなで大笑い。

そしてその子も大笑い。先生も大笑い。

この学校の先生は、他のところから赴任していますが、一緒に暮らす村人としての感覚のようで、いつも子供たちとゲラゲラ笑いながらミーティングをしてる姿が印象的で、休みの日も、先生のお家の畑にいったり、人同士の距離が近い関係性でした。


 

「自分も失敗をする。だから誰かの失敗も受け入れる。」

机上時間が長い中では、なかなか学べないことなのかもしれないなと、自分の生きた道を振り返って感じました。

なので、学校の恩恵に感謝しつつ、学ぶ場所と時には変えて、いろんな経験をしていけたら、いいのでしょうね。

最後に、この村の子どもたちは配慮に富んだとても優しい子たちでした。

(昼食におかずの準備をする先生を手伝う少し大きな子どもたち。)

それぞれの個性があるので、小さい子の面倒を見る子もいれば、自分ペースの子もいます。でも、困っていたら声をかけるし、手を貸してくれます。

授業の合間に、数人の子が、学校のそばを通りかかったおばあちゃんのそばにいき、荷物を持って家まで送り届けていました。

わたしたちのような、山道に慣れない人が村におとづれると、足元を気にして先に歩いていいよ、と13歳の子が道を譲って後ろからついてきてくれます。

畑作業に合間、疲れて椅子に座っていた子が、娘を抱いた私をみて、くるくるとした目で、カタコトの英語で「座る?」って声をかけてくれます。

そんな優しさが身についている訳を知りたくて、ここに滞在した1年間。

(川で遊ぶ子どもたち。川で取れる海藻はここの名産。

痛い思いも友達同士で助け合う経験もたくさんあそんで身につけています。

後ろの子がお化けになってますが、どこの国も男の子は一緒なんですね、笑)

(釣竿の針を釘を曲げて作っています。

自分達が何かをやりたい時、「今あるものでどうできるか?」と知恵を絞って日々暮らしているのが素晴らしいなと思います。)

生き方を学ばせてもらった時間、今でもこうして時折思い出して整理をします。

 

 

 

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