子供に寄り添う。⓵「まず教える」のではなく、まずはとことん「見せていく」。

1「暮らしが基本」

だからいつでも「暮らす様に旅をする」

そんな感覚を大事にしています。
どんな時も暮らしていかねばならないですし、生活力というのも生きる力だと考えているので😌

2「なんか食べるもんないの〜。」と言わずに、自分で動ける様になること。

生活力をつけておくことの大切さを教えてもらったのは、タイの山岳地帯での暮らしをしていた時。

ファームでは月に一度の「パーマカルチャーコース」がありましたし、世界中からパーマカルチャーを知りたい人が集まっていましたが、皆さん20代後半前後の若者で「お母さん」だったのはわたしだけ。
それに長期滞在者だったので、わたしが台所を任される様になりました。

朝から多いときには30人分のご飯を3つの火どこを調整しながら朝ご飯を作ります。

 

薪での調理は火をキープすることも繊細で、雨の日の湿度などにも左右されます。

そして畑やジュングルでの食糧調達を含め、一色作るのに2時間近くの時間を必要とします。

朝は6時からご飯の支度。
日の登る前からヘッドライトで調理を始めます。

そんなわたしを見かねて息子が6歳の年長さんの時、調理を手伝ってくれたことがありました。
3つからナイフを使ってきてけれど、手元を見てやることもできないまま、ナイフを使ったのは初めて。

この忙しさの中、手元を見てやる余裕もなかったのです。
朝が苦手なファームに滞在する多くの若者たちに変わって、私は息子にだいぶ助けられました。

しかし、この結果、息子にとってもいい効果を生んだ様です。
自分が料理好きと知り、この頃から自分で台所に立つ様になりました。

(さつま芋炒め。娘も手伝います。)

みんなでここで、一日三度の同じ釜の飯を食べる暮らしの中で、彼が作ったおかずを、一人一人の人が、
「美味しいよ、ありがとう😌」と声をかけてくれる。

滞在する人たちが素直に表現してくださる方たちだったので、彼は、
「サンキュー。
コンプンカー。
グラシアス。
メルシー。
グラッチェ。。。」
など、沢山の国の言葉で伝えられるありがとうを受け取ってきたのも大きかったのでしょうね。

美味しい料理は人を笑顔にするということを感じさせてもらう日々がありました。

ここで日々お料理を作ることに挑戦してきたこと、いろんな人が作るお料理を味わえたこと、帰国してからも3歳になったばかりの娘の手を引いて、バスに乗って必要な食材を買いに出かける所からお料理をすることまで経験をしてきたこと。。。

その日々の積み重ねで、3年生になる頃には、今日ご飯作るよーっていうと、ご飯、おかず、お味噌汁とちゃんとバランスの取れた食卓を作ってくれるようになりました。
食事というのはこういうもの、ということを暮らしの中から身につけて行った様です。

(山に引っ越してきた当日。雨の続く日で見えの中がすごい雨漏りをすることを知り、直すまで室内にテントを張って暮らしていました。

どんな状況であれ、必要であればその場所で、あるものを使って食べるものを作る。

「なんか食べるもんないのー。」と言いながらただ待ってるのではなく、自分が必要なものは自分で動いて手に入れていく。

そんなことも身につけてくれていた様で、雨漏り、引っ越しの荷物で雑然とするなか、ランチ作りをかってでてくれたムスコ。この日はカボチャ団子オンリーでしたが美味しいランチでした。)

3 娘2歳。ナイフの使い方を教えてくれたのはにいちゃんでした。

年長さんの時に、彼が少しの怪我をしてもお料理が好きでナイフを握っているのを見てきたので、彼のナイフ使いを信じており、何かを言うこともすっかり無くなりました。

同時に、息子が年長さんの時に、タイから帰国した直後から、2歳9カ月の娘もナイフに興味を持ち始めました。

(籾殻を燻して堆肥を作るための籾殻を集め。暮らしの仕事に小さい頃から参加するのがこの村の子どもたちでした。ちなみにこれはムスメです、笑。)

こんな暮らしの仕事を自分の目でも体感できる日々の中で、にいちゃんがやってる楽しそうなことを自分もしてみたいという好奇心からでしょう。

私はまな板と、切りやすくカットした食材、ナイフを用意して娘に張り付きました。

「えーっと、まず包丁の持ち方はこう。そしてこうして切って、ここは危ないから気をつけてね。」

と、レクチャーから始まり、娘の手の動きを見るたび、
「ああ、それはこうであぶなきて、これはこうした方がいい。」
と言い始めたんですね。

そんな私たちを見て息子がスッと出てきて
「こっちゃん。こうすると、刃があたって危ないからね。あとは好きにやってみてごらん。」

そういうと、自分の作業を始めます。
時折、静かに手を出しては、フォローしてあげて、危ないとはそのあと一言も言わなかったんですね。。

そんな息子に教えられました。

「私は危ないことばかりに気を取られて、口を出しすぎ。。
結果、本人が楽しむ気持ちをそいでしまうところだったのかもしれない。」

と。

4 子どもが興味を持った時には、危ないことよりも、楽しむ気持ちを大切にできるようにしたい。

あれから7年。
娘にナイフを教えてくれたのは息子だけでした。
そんな2人は、これまで一度もナイフで大きな怪我をしたことはありません。

どこをどうしたら危険か、どこまでやったら危険か、を自分の全感覚を使って身につけて行ったのかなって気がしています。

危ないことを伝えるのも大事かもしれません。

でも、危ないことを教えるよりずっと前にやらねばならないことが大人側にあることもこんな暮らしをしながら感じています。

5 「小さなうちから暮らしの仕事を彼らの目の見えるところでやっていくこと。」も大人のお仕事。

(大好きなお兄ちゃんが水道管を直すところについて行った息子)

そうすれば、大人たちがどんなことで怪我をし、失敗をしているかも彼らは見ることができます。
見ることは一番初めの学びです。

(金属の波板張りを手伝ってくれた別のお兄ちゃん。この後、この波板でスパッと指を切る怪我をしました。ナイフ以上に危険なものだと思います。それを見て学びをもらう子どもたち。大切な経験というチャンスをもらったね。)

危ないかどうかは大人たちの仕事を見ている期間に、自分で感じながら理解することができます。

タイの山岳地帯の村の子たちが1歳9カ月にして、大人用の大きなハンマーを使い1センチほどの釘を打ち込んで遊んでるのを見たことがあります。
彼らは赤ちゃんのうちから大人の背中で沢山の仕事を見てきているから、この頃にはたくさんのことが頭に入っているのだと想像しています。

ちなみにこの男の子、途中まで行くと釘が曲がってしまうのです。
それでも40分も同じ動作を繰り返す集中力。
やっぱりおもちゃと違って本物は極めるとこるがあるんだろうなとかんじました。
それと同時にもう一つ学びの光景を得ました。

この男の子には4歳のお兄ちゃんがいました。
お兄ちゃんは彼の指先を真剣にみて、
「はじめが少し違うんだ。こうするんだよ。」
って手を添えて教えてあげていました。
私は大人であるのに、そのコツが全然わからなかったんですよね。
彼らの観察力の鋭さをみて、大人が手を出さない、時には見ないふりをするぐらいのことが大切さだと、学びましたよ。

そんな娘が年長さんの時にジャガイモの芽取りをしていました。もう、3年近く前ですが、そのナイフ捌きを見てながら、インスタに綴った言葉を読み返しました。

そのまま引用させてください。


子どもが育っていくことに寄り添う。
そこには誰かに寄り添うため、優しさを忘れずに日々を生きていくためのヒントが転がってると私は感じています。

その気持ちのまま、今でも「私は、どんなふうにあの人に寄り添えるかな。」と考えています。
子どもたちが教えてくれる数々のことに感謝をしながら。

娘年長さん、かぼちゃの芽とり。いつの間にこんなに上手くなったのだろう。

2歳の時から包丁を持つ彼女に刃物の使い方を教えたことは一度もない。いつだって4つ違いの息子が教えてくれた。
初めて包丁を持った日、その持ち方危ないわーっていう私に息子はここをこうしてね、やってみてごらん。

危ないわとは一言も言わない。
恐怖心ではなく、コツだけを伝え、あとは感覚を身につけるのをそばで見守るだけ。

その教え術に感動し、私はもう何も言わない、見ないと決めた。
そうして今は見事に包丁の角で芽取りをする年長児。

不登校の息子は料理が好き。年齢相応の学力はないけれど、相手の個性を見ながら優しく丁寧に、一つのことを人に教えることができる人だ。
これもとても大事な生きる上でのスキルだと思う。

寄り添い方で人の育ち方は変わる。
私はまだまだ未熟者だなあ。。
子どもによりそう。旦那さんによりそう。

家族の関係は日々の積み重ね。
丁寧にやっていきたいと改めて思う。

🌱

そんな気持ちを今でも整理しながら日々を紡いでいます。

ちなみに娘の芽とりしてくれたおじゃがさんは息子とコラボしてバイキングご飯になりました😆

 

 

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