1.旅を始めた理由。
東日本大震災を通し、自分の生き方を考え直したいと思っていた我が家は、1つのきっかけを見つけ、それを体験してみることに決めたのです。
震災の後、私が一番衝撃を受けたのは、「自分がどうやって生かしていただいているのか」を、ほとんど知らなかったこと。
どんな風に食べ物が私の元に届き、どんな人がつくってた服を着て、どこから届いたエネルギーで暮らしを営んでいるのかを思いを巡らせても、わずかな想像しかつかなかったのです。
そしてひょんな事から、ライフラインのない村とわずかなご縁を繋いだ私たちは、そこで暮らしを営む経験をしてみることのしたのです。
2.旅の支度。
ムスメ2歳、ムスコ6歳のときでした。
1年目は迂闊にもスーツケースで出かけ、山道を自分の力だけでは登れない、という経験をした私たちはそれからずっと自分で持って移動できるバックパックを一人1つ持って移動するスタイルにしています。
目的地は、竹の屋根と床だけで暮らす田舎の村。
サソリやムカデが出たらどうしよう。
暮らしのための最低限ってなんだろう?
そもそも一度しか会ったことのない人を目指してバンコクを離れ数時間、本当のそこにたどり着けるのだろうか?
そんな思いを抱えながらも、必要と思われ荷物をつめ、日本をでました。
不安に目を向けていたら、何もできなくなる。そのそもライフラインのない暮らしそのものが未知である以上、不安がやってくることは前提条件だよね、と。
3.不安も子どもに見せる。そして共に超えていく。
初めてづくしだった私たち大人は、不安を隠すことができなかったのです、笑。
でもね、いまはそれがよかったのだと思っています。
人は誰しも不安を抱えて生きており、そんな自分とどうバランスをとっていくかが大事なことだから。この不安を超えてみせる。それをみてもらったらいい。。
この暮らしを数年経験して得た私の答えです。
今、私が「頼りない母ちゃんで悪いねえ。」というと、子どもたちは言葉にしてくれます。
「大丈夫、いつも超えてきたでしょ。今回もどうにかなるさー。」と。
小さな時から私たち親が不安を解消したり、取り除いてきたわけではなく、子どもたちの支えがあって超えられてきたのだと感じています。
旅の途中で起こった様々なトラブル。
それが来るたびに、「あーあ、どうする?」って嘆く私たちのそばで子どもたちは変わらず楽しそうなのです。呑気でいいねえ、って思うけど、呑気でいてくれる人がいるからどうにかなっていくんだと今は思います。
そして今は子どもたちもたくさんのアイデアをくれます。一緒に考えて超えてきた分の知恵がぐっと詰まってるその力に驚きます。
家族で超えた経験はお互いを想う力を強めてくれます。
4.家族全員で旅をする。
それは外に仕事に行ってくれてる時は見えなかったお父さんの弱さを知り、寄り添いたいなって思いを生み出してくれます。
弱さを怒りに変えがちなお母さん(私だけだったらごめんなさい。)。日常の子どもとの時間の大変さをお父さんも理解できるようになります。そしたら怒りの矛先を子どもにむけなくていい。
一緒に旅をしトラブルを超えていくことで夫婦がお互いを想う力が強くなります。
そこに一緒にいる子どもたち。助け合う両親を見てホッとし、彼らは自分の楽しい時間を安心してどんどん深めていける。。
さて、旅がはじまりました。
私たちは幼かったムスメをおもい、直行便をやめ、経由便でゆっくり目的地に向かうことにしました。
そして目的地はバンコクからさらに北へ北へ。
バンコクについてからも1週間の猶予を持ってゆっくり移動していきました。
暮らすように旅をしたかったこともあり、洗濯して、その土地の人々の暮らしに触れながらの日々。何が何でも目的地を目指すのではなく、小さな子どもの心のようにまずは、今目の前にある事を楽しむ事を大事にしたい。
その話はまた次回に向けてゆっくり。
週一回くらいのペースで更新していけたらと思っています。
文化の違いで、人様との距離がちかいんですね。
子どもを大事にしてくれる文化もあるので、こうしてみんなに目をかけてもらって、ムスコはこの村が好きになりました。
読んでいただきありがとうございました☺️